宮島 旅行 厳島 ガイド ツアー プロフィール

miyajima

石亭主人がビーチサンダル代わりにしている小さなボート「BIRD」号で宮島へ行きましょう。アクティブな服に着替えて・・・少々ワイルドです。
千年リゾート 厳島 をリアルにガイドいたします

produce by S E K I T E I
shujin@sekitei.gr.jp

厳島

宮島のプロフィール


 ●全周囲25キロ超の長楕円の形で、全島険しい山からなっており、平地は少ない。
 周囲は美しい海浜と岬の連続です。
 山林は自然林で現在も国有林として厳重に保護されており、動植物の種類の
  多様さで学術的にも貴重です。
  厳島は世界遺産ですが、厳島神社が「文化世界遺産」なのと同時に、山林は「自然世界遺産」にも
  指定されているのです。北方の本土に面して屏風 のようにそびえる島のため、冬季は瀬戸内海の島には
  珍しく雪が多い。
  また本土と反対側の島の南面は南島風の植生も見られます。
  ちなみに厳島神社は北向きです。

 ●厳島神社の創建は推古天皇の時代と言われますが、それより前から島が神聖視
  されていたのは確かで、太古以来、大陸朝鮮と畿内を結ぶ航路の中継地だった
  からでしょう。
  フェリーで渡る大野の瀬戸は今はアナゴと牡蠣で有名ですが、古代以来、理想的
  な船の停泊地でもあったのです。

 ●その宮島を重視した権力者を三人上げましょう
  まず平清盛です。現在の厳島神社を壮麗に建造した人ですが、神社を別邸の
  ように考えていたふしが有ります。神社が海上に建つのは神聖な陸地を避けて
  いるからと言われますが、そうではなく平安時代の寝殿造りの特徴です
  (ただし海上の寝殿造りはここだけ)。
  また本殿は南アジアの民家に特徴的な構造と同じものを持っています。
  清盛の厳島神社は南太平洋のリゾートにあるような海上ヴィラのはしりかもしれ
  ません。そのようなところとしても神社を楽しみにご参拝ください。
   太閤秀吉も宮島を重視しました。千畳閣は秀吉の御殿(パレス)として建設
  されたと考えられますが、秀吉の死により未完成です。
  秀吉が病死していなければ朝鮮の役の指揮をここで取ったはずです。
   室町時代に宮島を重視したのは「日本国王」印を持った山口の大内です。
  それを引き継いだのが広島の毛利元就で、現在の厳島神社の社殿は元就の
  造営です。宮島が重んじられたのは船による流通と軍事上の重要性からでした。
  ちなみに明治以降も敗戦まで宮島は旧陸軍の管理によっていました。

 ●さあ、宮島に上陸です。鹿が出迎え。
  宮島は古来、動植物の捕獲が一切禁じられていましたから、鹿だけが保護された
  のではありませんが、神の使いとして大事にされた鹿が、とくに我が物顔で闊歩
  するのです。ただし野生ですから奈良の鹿と違って餌付けはされていません。
  人に食べ物をねだるずうずうしい鹿も居れば森に居て人に近づかない純情な鹿も
  居るのです。
  島内では農業漁業が禁制でしたから島民は全員がサービス業で、現在も農地は
  ありません。近年になってカキの水産業は島にあります。
   宮島では出産、死人の埋葬も禁じられていました。今も産院はなく宮島には
  火葬場も墓もひとつもありません。

 ●明治時代に鉄道が開通し、連絡船が通じるまで宮島参りは廿日市港
  (広島市と宮島口の間)から舟が出ていました。
  当時と鉄道連絡船の港(現宮島口駅)が出来てからとでは厳島神社の
  参拝順序は逆になっています。
   江戸時代までは厳島神社の今の出口から入って参拝の後、
  「下の町」と呼ば
  れた街で歓楽したり買い物を楽しみました。今は下船後、先に商店街を
  抜ける順序です。
  この商店街は自動車時代の今の日本では珍しく往時の参道商店街の
  繁栄を残して貴重ですし、「見るだけ」の買い物も楽しい。
  通りの空を覆うオーニングと呼ばれる日よけも今では珍しく良いものです。
  商店街のほかに裏通りや「山辺の小径」と呼ばれる人道も歩くと楽しい。
  瀬戸内海の街どくとくの細長い路地が見え隠れします。
  鹿はどこにでも居ますから頭をなでてやりましょう。

 ●未完の壮大な千畳閣の脇に五重塔があります。厳島神社に属し、
  神社の本格的な塔で今も残るのは僅かです。
  軒のそりが強く、やや中国禅風な印象なのは遣明船の大内の時代(室町)
  のものなので大陸の影響も有るかもしれません。
  その丘の下の「文庫」はネストリウス教(キリスト教の分派)の遺構とも
  言われます。神社をへだてた反対側の丘には多宝塔も見えます。
  江戸時代までは神社が仏教の役目も持っていました。

 ●神社の奥の紅葉谷は江戸時代までは寺町でした。
  維新以降、寺院群が除かれ公園になったのです。美しい紅葉は寺々の庭の遺構
  で湿度の高い幻想的な谷間です。
  紅葉谷から大元神社に出る山の小道も楽しい。
  新緑のころも紅葉のころも絶景です。

 ●厳島付近は潮の干満の差が最大で四メートルありますから、干潮時に神社の前
  は広大な干潟になります。大鳥居の外側では貝堀りもできます。
  宮島のアサリは身が厚く美味で有名です。

  《新宮島図絵》

  宮島ステイ

  〈鹿〉
   宮島に上陸すると鹿に迎えられます。奈良の鹿と違い餌付けされない野生ですが、人の
   絡みはできる鹿も多いので(それぞれ個性あり)頭を撫でてやりましょう。

  〈小浦〉
   現在の宮島港のある場所は小浦という名でした。広場の正面、ゆるやかなカーブを描いて
   店が並んでいるのは四五十年前までは海に面していました。イメージしてください。
   海岸は雁木ガンギと呼ばれる船の着く石段で今も商店街手前の岸に再現されています。

  〈有の浦〉
   参道商店街手前から一の鳥居までの海岸で、商店街を通らない近道。
   高く迫る満ち潮の風景も潮の遠く引いた磯遊びもたのしい。

  〈参道商店街〉
   全国古社寺の参道商店街で昔ながらの風情を残すなら京都清水坂と双璧かもしれません。
   とくに宮島の商店街はみやげ物店など、すこし投げやり気分な店も含めレトロな風情が
   すばらしい。見逃せないのはオーニングと呼ばれる天幕で、店ごとのものですから統一感が
   あるようでないのも芸術的に映ります。宮島の商店街を歩くときは忘れずに頭上にも注目して
   ください。日暮れの後と雨天時はしまわれ空が覗きます。見えなかった五重塔の聳え立つのが
   見えたり変化も感動。

  〈町家通り〉
   商店街の一歩裏手の生活道路で普通に瀬戸内海の島の道ですが、かつて日本一の
   しゃもじ屋さんだった「宮郷ギャラリー」を過ぎ通りの突き当たりに五重塔がそびえ見える
   あたりは宮島ならではの迫力ある景観となります。通りの終わりは塔の岡でトンネルがあり
   そこから右手、岡にあがる石段もよく、手前左から幸神社経由で回りこんで塔の岡に石段の
   形状も美しい。町家通りからさらに裏手の道も瀬戸内海の密集した町の雰囲気が散策に
   楽しい。西町、南町と呼ばれた民族資料館あたりの裏通りもたのしい。街を歩きましょう。

  〈一の鳥居〉
   早く朱の大鳥居を見ようと気が焦り気付かないかもしれませんが、商店街を出てすぐの
   最初の石鳥居もすばらしい。明治三十八年に建てられました。継ぎのない巨大な石柱で
   できています。狛犬も名品でその後ろのねじれの松も見所です。

  〈山辺の道〉
   港から「みなと隧道」のトンネルを経て山のほうに向かうと宝珠院という御堂がある。そこから
   右手、町を見下ろしながら行く山すその小道です。寺があったり変化に富んでたのしい。延命
   地蔵から石段で降りる暗い谷の雰囲気が絶妙。その路地の名は桜町。

  〈三笠浜〉
   商店街が終わり一の鳥居から厳島神社の境内地で海岸に防潮提もありませんから昔ながらの
   景色を楽しむことができます。目の前に大鳥居が見えてくる海岸が三笠浜。記念撮影に賑やかで
   鹿も集まるすてきな場所です。

  〈干潟と大鳥居〉
   人間がどんなに自然を手なづけても変えられない自然のリズムがある。海の干満。宮島では
   最大四メートルの干満差があり、大潮小潮で変化し時間は日々変わります。朱塗りの大鳥居は
   そのリズムの中に立っており、季節と時間の移り変わりで人とのさまざまな絡みを生みます。
   潮が引いたときの干潮も神社の境内地です。靴を汚しながら人々の広場と化しているのが
   おもしろいところです。意識せずにエコツアーを演出しています。

  〈州浜〉
   ビーチは日本語で砂浜ですが古来日本人は「スハマ」と呼び、とくに舌状に伸びる浜を神聖に
   考えました。和菓子や什器などのデザインにも使われたものです。宮島には多くの州浜があり、
   厳島神社能舞台の裏から伸びる州浜にはぜひ立ってみましょう。

  〈千畳閣〉
   豊臣秀吉の建築は日本のどこにもほとんど残っていない中では貴重な秀吉の遺構です。
   ただし彼の死により建築が中止され、壮大な屋根と床だけのまま四百余年が経ちました。
   江戸時代は経堂、維新以降は厳島神社絵馬堂に使われましたが、構造、立地から御殿(パレス)
   だった可能性が強く、パフォーマンス好きの秀吉は朝鮮半島の侵攻をこの御殿で指揮しようと
   考えていたと思われます。金箔軒瓦に「王」の字が輝いています。

  〈五重塔〉
   室町期、厳島神社のパトロンは戦乱で荒れた京都を尻目に日本一の繁栄を築いた山口の大名
   大内氏でした。五重塔も大内氏の建てたものです。屋根の反りが強い唐風は遣明貿易の時代
   だったからでしょう。仏塔ですが厳島神社に属しています。

  〈文庫〉
   千畳閣の崖下にあるいわく有りそうな端正な建物で、本来の目的は分かっていません。
   一説にはキリスト教ネストリウス派の江戸時代の遺構といわれますが、多神の宮島ですから
   そうであっても不思議でない。

  〈大願寺〉
   江戸時代までの厳島神社は神仏混淆で弁才天も主神でした。維新後分離され、破壊されたものも
   多いのですが弁天は大願時に移されました。維新以後、木戸孝允などの密使の会談場所に使われた
   場所でもあり、伊藤博文が植えたといわれる根元から九本の幹が伸びる、まるで八幡のおろちのような
   「九本松」も奇観です。

  〈宝物館〉
   厳島神社ほど多くの国宝、重要文化財を所有する神社はありませんが、収蔵庫や各地の博物館の
   保管されめったに見ることができません。「宝物館」には国宝も重要文化財も展示されていません。
   しかし靴を脱いで上がる昔ながらの雰囲気が絶妙で、休息のつもりでよい時間を過ごすには格好の
   ところです。

  〈多宝塔〉
   大願寺の前から「あせびの小道」(石段)を登るアプローチは大方がご存知ない宮島のマスト(三ツ星)
   ポイント。多宝塔からの厳島神社と町の眺望は宮島でもベストでしょう。桜の名所も多い宮島ですが、
   多宝塔の付近は特に穴場です。弁当を広げる場所に事欠かない宮島ですが四季折々ここもお勧めです。

  〈御手洗川〉
   島には珍しく枯れることのない清流が流れ、鹿の群れの休息の場所になっている。江戸時代までは
   ここで身を清めて神社に入ったので今の出口は入り口でした。御手洗川の砂州に船をつけて上陸し、
   参拝のあと町に繰り出したので現在と順序が逆だったのです。

  〈市立歴史民族資料館〉
   裕福な商家の気品漂う日本文化の粋の座敷でざっくばらんに過ごすのもよく、資料棟には見るべきものも
   多いので宮島では必ず立ち寄るべき博物館でしょう。資料館に展示されるさまざまな弁当箱を見ると
   これを提げて野遊びをした時代の豊かさが想像できます。

  〈滝町〉
   大聖院に通じるまっすぐな坂道。神官の住居が並び、東京なら山の手に当たる場所でした。名前の由来の
   滝は大聖院にありました。

  〈大聖院〉
   江戸時代までの宮島は厳島神社の島であるより真言宗修験道の島でした。中心が大聖院で鬱蒼とした
   谷にあります。広島は宗派として対照的な浄土真宗の本場ですから特異です。インドヒンズー的なものに
   ひかれる若い旅行者たちに人気です。

  〈紅葉谷公園〉
   江戸時代まではいくつかの寺のあった谷で秋は紅葉狩り、夏は清流に床を渡し納涼で有名でした。
   寺は維新の廃仏毀釈で整理されましたが、紅葉谷川の清流沿いに旅荘「岩惣」の品格のある古い
   離れが並ぶ光景が幽玄でヴェラ式リゾートの元祖でしょう。子どもたちには清流で水遊びさせるのに
   格好です。

  〈大元公園〉
   厳島神社を平清盛が現在の場所に造営する前はこのあたりに神社があったと言われ、現在は
   大元神社のある瀬戸内海の島とは思われない幽邃太古の森のある一帯です。戦後しばらくまで
   ここに日光金谷ホテルのような欧米人向けホテルが建っていましたが(産業奨励館=原爆ドーム
   の設計者ヤン・レツルの設計でした)、戦後火事で消失したのが残念です。

  〈宮島ロープウエイ〉
   紅葉谷の最奥部から乗ります。宮島観光でははずせないアイテムです。島とは思われない原生林を
   深海のように覗くようにしずしずと小さなゴンドラで昇り、萱谷駅で大きなゴンドラに乗りかえると今度は
   雄大な海のパノラマ。終点の獅子岩駅からの展望もすばらしいのですが、ぜひ二十分歩いて弥山山頂
   を目指しましょう(ハイヒールではちょっと無理です)。

  〈弥山〉
   弥山みせんは須弥山の略でしょう。須弥山はシュメールでインド伝来。かつて宮島は密教(真言宗)
   修験道の聖地で島全体が曼荼羅の迷路に見立てられました。その中心の核が弥山山頂です。
   大岩の迷路も不思議ですが、それを過ぎて山頂に立った展望はカレイドスコープ(万華鏡)。
   現実とは思われない。とくに欧米人には評判が好く、彼らは気さくに徒歩で山頂を目指す人も多い。
   ロープウェイを使わず歩いて登るのも一興ですが、道はほとんど石段ですから覚悟を決めてかからねば。


  〈宮島島内にないもの〉 
   信号機、墓、コンビ二、以上一つもありません。

  〈宮島口〉
   JR「宮島口駅」は前身の山陽鉄道が明治三十年に開通したときに出来、戦前は「宮嶋駅」でした(現在は
   宮島港が宮島駅) 。宮島は廿日市などなら渡っていましたが、鉄道の開通で宮島口が宮島の入り口に
   なりました。明治以来広島湾には海軍連合艦隊の基地があり、江田島の海軍兵学校からも陸路を経ず
   列車に乗ることのできる宮島口駅は重要な駅で、兵学校在学中の高松宮(昭和天皇の弟)も将官も東京の
   行き来に宮島口から夜行列車に乗っていたのです。そのため駅前の上野商店が駅に頼まれて創作したのが
   「穴子飯弁当」。幕の内やむすびでない特殊弁当として日本最初のもので百年前のことです。

 



オプション リアル厳島の探索ガイド −海岸へおいでよ−


石亭や宮島に滞在の中日にどうぞ。
プランの組み立てはご相談の上。

天気がよければロープウェイに乗りましょう。
眼下に原生林を見る浮遊感覚。
そして頂上に着いて待っている絶景は!

<表>の海岸
 多々良ヶ浜、海外辺境の研究施設のような佇まいの
 広島大学生物学研究所と日露戦争時の砲台跡がひっそりと
 あります。地の果て感漂う州浜の美しいビーチと森!

<大野瀬戸>
 イツクシマは信仰の島としてだけでなく有史以来、
 船の理想の泊地として発展しました。その船溜まりが
 細長い大野瀬戸で、秀吉の朝鮮侵攻のときも軍船が
 この水道(瀬戸)を埋めたはずです。宮島対岸、大野地区を
 含め、眼下の大野瀬戸を先年、二千年の幻想で見ると目には
 見えない気品を感じることが出来ます。
 石亭があるのは経小屋ふもとの小高い扇状地にあります。全 山岩だらけの経小屋山の「経小屋」の名は相対する厳島を
 礼拝する場所に由来しています。石亭からな目の前の厳島
 (宮島)は原生林です。
 彼岸と此岸の間は穴子漁、牡蠣の養殖筏の並ぶ大野瀬戸。
 有史以来、舟の重要な泊地で、文献の確証はありませんが
 古代の百済遠征の軍船も遣隋船も遣唐船も平氏を繁栄させた遣宗船、
 山口の大内を繁栄させた遣明船、秀吉の朝鮮役の舟も浮かんでいたはずです。
 明治以降の宮島周辺は陸軍と海軍の施設が混在し、宮浜温泉もその保養施設の
 地域でした。たいへん穏かで風向明媚な一帯です。

 宮島の<うら>
 厳島神社と宮島の町はそびえたつ山を背に北面しています。
 そのために冬はやや寒く瀬戸内の島には珍しく雪が積もりやすい。
 日影が多く湿度も高い。反対側の南面する海岸は町も村もない
 自然海岸で「ウラ」と呼ばれました。そこは日当たりも好く亜熱帯ふうな
 植生と真っ白なパウダーサンドのビーチが観光客に知られずひっそりとあります。
 昔は七つの「浦」があると言われ、江戸時代から「七浦巡り」の巡航クルーズが
 行われました。今、大砂利までは車で行けます。

 裏の海岸 宮島の町から時計回りに
 〈長浜〉
  宮島港桟橋から町と反対側そばの入り江。喧騒を離れた自然、ビーチに長浜神社の
  鳥居が立ち、係留されたヨットが見える
  静かな場所で欧米の観光客はよくこのあたりを散歩している。
 〈杉の浦〉
  古来農業が禁じられ観光サービス業しかなかった宮島ですが、近代に入りここが農漁業の
  地域になりました。今は畑は有りませんが漁港として牡蠣業者は存在します。
  このあたり普通の集落にさりげなく鹿の群れを見るのはよいものです。すこし山道に入ると
  また別世界です。島の小さな雑貨や食料店も昔の長閑なままにあります。 
 〈包ヶ浦〉
  戦前は軍の施設があった場所ですが、今は海水浴場とコテージ、キャンプ場、テニスコートなど
  爽やかな気の場所です。巡回バスやレンタル自転車で散策に出かけて見ましょう。
  ウォーキングでも桟橋から三十分程度です。
 〈鷹巣浦〉
  包ヶ浦を過ぎると急坂を越えるので自転車には辛く危険なところです。鷹巣浦は
  軍の砲台や要塞のあった場所で幻想ポイント。
 〈入浜〉
  宮島のウラで最良のビーチです。なにもない美しい海岸。ふわふわの白い砂。
  天国に近い海岸。車やバイクなら簡単に。モーターボートならもっと簡単。
 〈大砂利〉
  入浜と対照的に巨大な岩がごろごろする海岸で水際まで亜熱帯風密林ですから
  広島近郊に居ながらにして南太平洋のニューカレドニアにいる気分になれるすばらしい所です。
  岩と岩のかげに隠れるようなプライベートビーチにつながります。
  眼前には穏やかな海と無人の小島が浮いています。東の沖には、無人島の小奈佐美島、
  俗称江ノ島が、西の沖には、無人島の可部島、俗称洞窟のある蛇島と呼ばれてきました。
  南に進むと、鯛やハマチにかんぱち、牡蠣の養殖もしている阿多田島があります。
  どの島にもアンカリングに適した入り江とビーチがあり美しいです。さらに南には、ダイビング練習 
  スポットとしても愛されている柱島と続き島、無人島の保高島がひっそりと。
  柱島には、可愛い猫達が坂道でお昼寝しています。

 〈西〉の海岸 長浦
  石亭から臨む宮島の浜辺が須屋浦(厳島七浦の一つで社もある)とよばれます。
  この浜に上陸して磯を渉り、南へと海岸の白砂を進むと西端の長い砂浜。
  自然以外なにひとつないからっぽのすばらしい海岸の散歩を楽しみましょう。
  野生の鹿が親子で現れます。
  石亭から臨む宮島の浜辺がここ須屋浦(厳島七浦の一つで社もある)です。
  この浜に上陸して磯を渉り、南へと海岸の白砂を進みます。

  ゆったりペースで<千年のリゾート>厳島を楽しむウォーキングとボートのプライベートツアー。
  興味深いガイド本もご用意しますが、海と無人島の浜と磯の自然に戯れて楽しみながらゆっくり過ごしましょう。
  貴女の瞳に映る風景は、千年前とかわりません。

 
  宮島散策と海上ドライブ案内
(四時間コース)

  宮浜温泉前港からボートで大野瀬戸を走り、宮島・大鳥居に向かいます。
  厳島神社、千畳閣、もみじ谷など一般コースを茶店や木陰で休みながら
  歴史的なリゾートとしての宮島を楽しみます。
  散策後、水族館の先の港からボートに乗って再び海上散歩に出かけます。
  海図を見ながら宮島とその歴史を俯瞰してみましょう。
  茶店は、清盛茶屋(穴子飯とあさりの酒蒸)、千代乃庵(うどんと巻き寿司)、
  山代屋(達磨系手打ち蕎麦)をご紹介します。


  徒歩と海上ドライブとロープウェイ
(七時間コース)

  宮浜温泉前港からボートで出発!
  四時間コースに加えてロープウェイ、山頂から見下ろす
  砂浜に。下山後、宮島の桟橋から<裏>の海岸へ向かいます。
  まるで南太平洋な自然のビーチを楽しみます。気になるビーチに上陸。
  宮島を一周して宮浜温泉前港に帰港します。

  「お好きなフルーツと飲み物を」用意して
  無人島の真っ白なパウダーサンドのビーチ、カリブの海賊島の
  ような入り江で過ごします。
  お好きな時間に宮浜温泉前港から出発!
  コースはご希望をアレンジします。

  ボートは、安心な漁船タイプ。ビーチへのアプローチで濡れる
  のは当たり前。そんな準備をご案内とサポートを致します。
  質問があればなんでもご相談ください。

  お問い合わせは shujin@sekitei.gr.jp までどうぞ。


 ●写真を撮ったkonakaさんのプロフィール
     
  
  1951年生まれ。
  江田島の旧海軍兵学校の壮麗な
  建築群を目の前に見ながら育つ。
  宮島は幼時より自家用の船で遊びに通いました。
  18歳から30歳まで京都に住んで二条通りに
  漆器屋「草象庵」を開業し話題になる。

 風景を見るのが好きで、日本と世界各地の風景を見ており旅行通。